保育士の私が聞いた「こども応援5時間ラジオ」

約1年ぶりだ…。


なんやかんやありながら、相変わらず仕事は休んでいてエイターはやめてない。今年の初めに復帰訓練始めて、コロナウイルスで閉塞した社会と共に沈没した。再び休職中。


悩みに悩んで申し込んだ47ツアー、奇跡的に当たった。そこでこれからを考えようと思って気持ちを整理して、5人のエイトを見て、今は元気にしてエイターやってるし、お寿司食べながらツアードキュメント見て泣いたり、クロニクルFを見て笑ったりしている。亮ちゃんの「笑ってはいけない荒野行動」も、死ぬほど見た。



まぁまぁそんな感じで過ごす中で、いろいろあって関ジュを応援し始めた。西の血脈に弱いんだ、仕方ない。




タイトル通り、保育士をやっている。かれこれ15年ほど。そのあいだ、保育園をいくつかと、療育施設、障害児が通う施設で働いた。経験としては半々くらいか。


10代と保育園、療育施設に通う子には年齢差はあるが、子どもにかかわる立場として私が6月と9月に放送された「こども応援5時間ラジオ(6月は4時間)」を聴いて感じたことを整理する。主に9月放送の方で。


「こども応援5時間ラジオ」は、NHK大阪放送局で放送された番組。コロナウイルスの影響で生活が変わり苦しくなった、また、長期休みた明けの学校、休み中の家庭が辛いと感じるこどもを応援したい、というラジオ。


パーソナリティは、関西ジャニーズJr.、Aぇ! groupのメンバー、正門良規、草間リチャード敬太、NHK大阪アナウンサー岩槻里子アナ、専門家として前半はソーシャルワーカーの幸重さん、後半は大学で准教授をしている石田さん。



2度目の放送が決まった時、ジャニウェブで連載されてる「Aぇ‼︎‼︎‼︎」でリチャが、無理に分かろうとせずに、寄り添えるようにと、番組に対する気持ちを書いていた。


職業柄だろうか、私は「寄り添う」という言葉に敏感だ。

私たち保育士の、というか、福祉やそこにかかわる専門職は「寄り添う」だけダメだからだ。園児や保護者、その家族が、少なくとも先を見据えて、今すぐじゃなくても、立ち上がって、進んでいくための支援をしなくてはいけない。それが専門職の仕事だから。


寄り添うとか愛とか、ある意味耳障りのいい言葉は、福祉関係者の中で都合よく使われることがある。そういう言葉を多く使う人は、正直信用できない。専門職としての知識や、それに基づいた実践はどこいった?と思う。すぐに結果が見えない仕事だからこそ、寄り添いとか愛とかいう言葉で満足するな、と腹立たしくなる。


じゃあ、寄り添わなくていいのか?といわれたら、そうではない。私だって、隣に座ってただ話を聞いてほしい時だってある。それがなければ立ち上がれないことも、前を向けないこともわかる。

寄り添うってなんだろう、このラジオが担っているものってなんだろう。そんなことを自分なりに考えた。



療育施設時代の話をする。

療育施設は、障害児が通う施設だ。そして、通う子だけでなく、保護者を支援するのも私たちの仕事である。

障害児を育てる中で、「周りと子育ての悩みが共有できない」という保護者がたくさんいる。それでなくても孤立しがちな子育てで、さらに悩みが共有できない辛さ、これは、私たちは話を聞くことはできても簡単に「わかる」とは言えない。

でも、保護者同士となると違う。この施設に通ってよかったこと、という話を保護者とすると、「悩みを共有できる人ができた」という答えがたくさん返ってくる。

年に数回、学年を超えて保護者がグループになって、お互い悩みを出し合おう、みたいな保護者懇談をやることがある。「わかる」「うちもそうだった」「うちはこういうやり方試してみてる」みたいな話が飛び交って、基本保育士は見守っている。そういう中で、「◯◯さんからの言葉で、自分もやろうと思えたし、頑張れた」という保護者もいた。

これは、私たちには絶対にできない寄り添いだなと思う。似たような立場だからこそわかる、分かち合える関係。そうやって保護者同士の関係から、仲間になって、繋がってる人たちもいる。


専門家ではない、だからこそ徹底して寄り添いができる。5時間ラジオの担ってるとこは、きっとこれだ、と、私の中でストンと落ちた。「つらいよね」って言ってくれる人がいること、悩みは口にしていいということ、見えないとこに似たような悩みを持つ人がいるということ。塞がってる時に見えなくなってしまいそうなことを、シンプルに伝えたい、そんな番組制作側の気持ちが、見えたような気がした。



本当は、パーソナリティを担った2人のことも書きたかったけど、長くなりすぎるな…

一つ言えるのは、正門くんもリチャくんも、"自分"というものがしっかりある人だ。自他の境界がはっきりしている、ともいう。自分があるから、相手の気持ちは相手の気持ちとして、わかろうとはせず、受け止められる。できそうで案外難しい。


あと、もっと短いスパンで番組をやってほしい、という声もぽつぽつあるが、これは難しいだろうな、と思う。家庭内の話はとてもデリケートだ。私も個人懇談で保護者の話を聞くと、それが悩みだけじゃなくて楽しい話や愚痴であろうと、結構消耗する。このラジオはすごくセンシティブな内容で、いくら相手が見えないとはいえ、かなり消耗するんじゃないかなと思う。それこそ専門家ではない正門くんやリチャくん、アナウンサーさんには、気合がいる仕事なんじゃないかな、とも思うので、今くらいの頻度が無理がなくていいかな、と、私は思う。



子育てってすぐに答えが出ない。何かをやってすぐに結果が出るものじゃない。保育や療育も同じで、今やってることですぐに子どもは変わらないし、すぐに変化や結果を求めてもいけない。

きっとこのラジオも同じだと思う。寄り添ってもらった子どもたちが、すぐに前を向いて立ち上がることを望んでないことは、番組を聞いていて伝わってきた。今、子どもたちの辛い気持ちに寄り添って、いつか、立ち上がる力になれば、そういえばあの時あのラジオで…と思い出してくれる日が来たら。私も同じように、願っている。



大事なこと忘れてた。

子どもたちが前を向いて立ち上がった先に必要になるのは、今度は専門家、専門職です。どうか力になってくれる人に繋がって欲しいと願いつつ、私ができることは選挙に行くことです。子どもたちの未来を作るのは大人です。直接何かできなくてもできること。選挙行こうね。