自担が消えた。

自担が目の前から消えた。



まぁ、なんという衝撃だろう。

「大切なお知らせ」のメールを受け取ってからしばらく、めまいを起こしながらフラフラとショッピングモールの中を歩いていた。


何度か過呼吸を経験していることもあり、狭まっていく視界に、このままでは間違いなく倒れると判断し、とりあえずマックでコーヒーを頼みフードコートの片隅に座り込んだ。

人生で1番長くて短い1時間だったように思う。大げさでもなんでもなく、たしかに。


メールが来てから1時間後、アイドルである大好きな人には2度と会えないことを知った。 

 



錦戸亮は、人生で初めて好きになったアイドルだ。

学生時代も社会人になってからも底辺で過ごした私には、ジャニーズのアイドルはあまりに眩しい存在だった。こんな人たちを好きになる資格なんて私にはない、一生無関係だろうと思っていた。


それを、なんだかよくわからないうちに、たまたま職場で知り合い仲良くなったジャニヲタにズルズルと引きずられ、気づいたらある冬、私は京セラドームにいた。


関ジャニのことを知れば知るほど、人間くさい人たちだなぁと思った。もともとバンドが好きな私が、関ジャニのことを好きになるには時間はかからなかった。


錦戸亮が好きだと思ったのは、初めて京セラに行ってから約1年後、ヤフオクドームでのコンサートだ。理由は特にない。この人が好きだ!という気持ちが降ってきた。一緒にいた友だちに聞くと、私は「亮ちゃん可愛いしか言ってなかった」らしい。


私みたいな人間でもアイドルを好きになっていいんだ。それを教えてくれた大事な大事な大好きなグループだ。



去年、メインボーカルだった渋谷すばるが抜けた。

とても彼ららしい見送り方で、戦友を送った。

私は、人間ってこんなに泣けるんだなぁって思うくらい泣いた。


去年のツアーは本当にギリギリだった。メインボーカルが抜け、怪我をしているメンバーを抱え、とにかく乗り切ることだけが全てだったような気がした。

このギリギリの緊張感の中で私は、本当に大変な時期はここじゃない、多分もっと厳しい時期が来る、その時に支えられるようにしたい。そんなことを考えていた。



まさかその、もっと厳しい時期が、自担が抜けるという事態だとは思ってもいなかった。





マックのコーヒーを目の前に座る私がどんな顔をしていたかはわからないけど、あの日から私の表情筋は全く仕事をしてくれない。ずっと能面みたいな顔で過ごしている。


メンタルをやられて休職中の身なので能面で過ごしても特に困らないのだが、同時に気が紛れることもないので、関ジャニ錦戸亮のことばかり考えてしまう。


なんで?とか、どうして?とは思わなかった。

泣いたのは1度だけ、5人の動画を見た時。見たというのは正確ではなく、画面を見ずに声だけ聞いた。

47都道府県ツアー?バカじゃないの?若くないくせに(そういう私も彼らと同年代)。泣きながら笑った、笑えた、この時は。

この時点では、ツアーには行こうと思っていた。



あれから3日経った。

まだ悲しいし辛い。


だんだん、自分がおかしいんじゃないかと思い始めた。


アイドルが好きなことなんて、趣味の話じゃん。こんなにショック受けるのおかしくない?

いつまでもクヨクヨして、どうすんの?

感傷に浸る自分に酔ってるだけじゃない?


多分、私ではなく他の誰かが同じ状況なら、絶対に言わないであろう言葉が浮かぶ。

自己肯定感がむちゃくちゃ低いせいで、自分自身を否定することだけは得意なのだ。


あぁ、疲れてる。疲れてるんだ、私。

悲しくて辛くて、すり減らすものもないんだ。



去年、いつか来る今よりもっと厳しい時期が来た時に支えたいと思った、多分今がその時なんだろう。そして、関ジャニ自身も今、満身創痍なんだと思う。

でも、私も今、満身創痍なんだ。

支えたいのに、満身創痍の人間に、満身創痍の人たちを支えるだけの力はない。


離れなきゃ、と思った。支えられない自分でいるのも、満身創痍でそれでも次へ向かおうとする彼らを見るのも辛い。


できれば、もう少し時間が欲しかった。止まると休んでしまいそうになるのもわかる、でも、今まだ立ち直れない人間にとって、この展開の速さについていけないんだ。


ずっと週録画していたクロニクルの予約をやめた。関ジャムは…音楽好きだからなぁ、でも今は無理だ。録画だけしとこう。 

テレビをつけなくなった。どこに自分の地雷があるかわからない。


それでも、部屋を見渡せば亮ちゃんが大好きな気持ちのカケラがそこかしこにある。コンサートに着ていった黄色いスカートも、黄色いネイルやアイカラーも。



まだ、新たに漕ぎ出そうとする5人の船に、乗り込める私はいない。